2021-05-18 第204回国会 参議院 財政金融委員会 第11号
首相を二度務められました松方正義元大蔵大臣が通算五千三百二日で歴代最長でありますけれども、今年十月までもしあと大臣任期が続きますと、二位の高橋是清元大蔵大臣を抜くことになります。
首相を二度務められました松方正義元大蔵大臣が通算五千三百二日で歴代最長でありますけれども、今年十月までもしあと大臣任期が続きますと、二位の高橋是清元大蔵大臣を抜くことになります。
かつて特許庁が存亡の危機にあったと言われた当時に、タブー視されていた料金値上げと審査官大増員を成し遂げて、知財立国日本のために礎を築いてこられた諸先輩方のためにも、そしてこの制度創設者である高橋是清初代特許局長の思いを通じるためにも、この国のために本当にすべきことをなして、みんなで知恵を絞って、これからも問題解決に進んでいくので、よろしくお願いいたします。
アメリカも、戦争始まる前からアメリカはインフレに突入してきましたし、そういった意味では、一九三〇年代のあのデフレーションに対抗してという形でやったニューディール、こちらでいえば高橋是清のやった財政政策等々いろんなものが全部重なって、戦争はそのもうイーハン付いたみたいな、もう一つ余計に付いたみたいな形になっていると思いますけれども。
そして、麻生大臣御自身が野党時代の二〇一二年に講演会で、日銀はお金を刷れ、じゃんじゃん刷れと、かつて高橋是清氏が財政出動を行った事例を持ち出して、日本が世界で最も早く不況を脱出したと称賛しておりました。
一九二〇年代から三〇年代に、当時の高橋是清が、本当に大胆な金融支払い措置、モラトリアム、そして積極財政を講じて、世界の中で先駆けて回復したわけです。私は、今こそやはり大胆な発想で経済政策をやっていかないと、この国の未来はないと思っているんです。 ぜひ、消費税のゼロ、これを真剣に考える時期に来ているんじゃないかと思いますが、どうでしょうか、財務省。
日本でも当時、高橋是清大蔵大臣により、同様の趣旨で公共事業を進める時局匡救事業というのが提唱されまして、治水事業、道路事業、港湾事業、鉄道建設、農業用水路の整備、こういったものが実施され、景気回復につながったというふうに聞いております。
将来世代というものに対してきちんと責任をとるという意味からも、これはよくなったらやらないかぬというので、昔は高橋是清って人がデフレ対策でやられた財政、もう金がないからといって紙幣は表だけ刷って裏は刷らない、そういうお札までつくって経費節減して、ばっとお金をばらまいていますけれども。
大恐慌を例に挙げられましたが、あのときには需要をつくるという政策を展開をしたのだろうと思いますし、あの大恐慌のときには、日本は、いわゆる、高橋是清大蔵大臣が大胆な金融財政政策をとり、いち早くその不況から脱出をしていくのでございますが、今回は、まず、このコロナウイルスの感染拡大を収束させなければ回復の道筋が見えてこないという状況にありますから、より一層厳しい状況。
我が国においても、当時、深刻なデフレ不況に陥ったのでありますが、当時の政府、先ほど名前を挙げました高橋是清大蔵大臣、ちなみに日本銀行の下関支店長も務めた人物でございますが、積極果敢な財政金融政策によって、まさに大胆な金融政策、大胆な財政政策を行い、いち早く不況からの脱却を達成したわけでありました。
○麻生国務大臣 高橋是清の案をそのままぱくって、ルーズベルトという人が、新しいディールだといってニューディール、そういうことをやった結果、アメリカというのは、アメリカも同じようにこうなっていたものが、デフレから脱却して、アメリカもうまいこと脱却するのに成功したのが一九三〇年代後半だったというように習いましたし、事実だと思いますが。
○野田(佳)委員 きょうの予算委員会を私もちょっとテレビで拝見していましたけれども、大恐慌のときの話が出たり、高橋是清の名前が出たりしていましたけれども、あの大恐慌のときに高橋是清が思い切った財政出動をして、借金もして、むしろケインズが広く世界に認められる前に有効需要をつくって対応しましたね。
それから、昭和二年の金融恐慌、これは高橋是清が収束させたということで教科書にも出てきますけれども、この昭和二年の金融恐慌のときは二十一日間の支払い猶予をしてこの金融危機をおさめた、こういうような内容のものなんです。
また、近代日本を代表する財政家として知られる高橋是清氏は通算六回九年弱と、いずれも教科書に載るくらいの方々でありますけれども、現在第三位ということでありまして、先ほど申し上げましたが、官庁の中の官庁として霞が関ににらみを利かせる財務大臣として、今巷間取り沙汰されております真水十兆円の補正予算の編成を含め国家財政をつかさどる立場から、凜と厳しく官邸、霞が関を律していただきたいということを申し上げまして
三年ぐらい前の予算委員会で申し上げたことをもう一回お伝えをしておきますけれども、岩田副総裁は、高橋是清元蔵相がおやりになった高橋財政というものが非常にデフレ脱却に有効だったという、そういう論陣を張られて、二〇〇四年にそういう本もお出しになって、そしてそれをやるんだということで、まあ明確な意思をお持ちになったのは結構なことだと思うんですが、登場されたわけなんですが。
そこをやり直さない限りはどうにもならぬというんで、この安倍内閣はその経験がありませんので、経験がないなら歴史に学ぶしかほかに方法がありませんから、我々は、一九三〇年代の高橋是清の取ったいわゆる政策というものを我々は大いに参考にさせていただいて、日銀は金融緩和、財政出動というようなことをやらせていただいた結果、財政状況、数字の上からは悪くなった形になっておりますが、新規国債発行の絶対額は十一兆減ということになりまして
松方正義、高橋是清に次いで三位と、戦後では第一位の大臣の在任期間。もう間もなく六年ということであります。 財政健全化は大切だという話の後で甚だ申し上げにくいんですけれども、あえてここで真に必要な公共事業の一例を紹介をさせていただきたいというふうに思います。
それを上回るのは、あの松方正義と高橋是清だけです。両先達と比肩するような、麻生財政と呼ばれる実績は全く思いつきません。 安倍総理は、なぜ、放漫財政を改めない放言大臣を続投させるのですか。明確な説明を願います。 日本外交の基軸は日米同盟です。だから、安倍総理は、トランプ大統領との個人的な信頼関係の構築に努め、ドナルド、シンゾウと呼び合う蜜月関係を強調してきました。
調べてみたら、松平慶永が大蔵卿になって以来、大蔵省、財務省という日本の財政をつかさどるトップは約三十人いるんですが、麻生大臣を超える人は松方正義と、そしてあの高橋財政ですよね、高橋是清。松方さんも高橋さんも、松方財政、高橋財政と評されます。 麻生財政とは、どう自分なりに自己評価をされていますか。麻生財政とは、自分なりの自己評価をどうされておりますか。
しかし、財政政策と一体となって、金融緩和、積極財政、昭和恐慌のとき高橋是清さんがやったような、ああいう財政金融一体政策こそがデフレ脱却にとって必要だと思いますが、若田部副総裁、いかがでございましょうか。
この景気回復を主導したのが高橋是清蔵相でありまして、何をしたかといえば、それまで続いていた緊縮財政を改めて、為替を金本位制から離脱する中で、実質、実体経済に合わせるということをやりましたし、金利の低下、ここまでは今のアベノミクスと少し似ているところがあると思います。それからもう一つは、財政支出の拡大ということを行っております。
一九二九年に、米国におきまして株の暴落が起こりまして、それを発端とします世界的なデフレ大不況が発生をいたしまして、その後、一九三一年に高橋是清蔵相が大蔵大臣に就任をするまでの間の日本経済でございますけれども、物価が持続的に下落をする中で成長率も低位にとどまっている、こういう状況でございました。
それから、以前の予算委員会で総裁にお伝えしたことがあると思うんですが、今回退任される岩田副総裁を始めいわゆるリフレ派という皆さんは、戦前の高橋是清元総理、大蔵大臣、日銀総裁の、この高橋財政時代にかなり緩和的な金融政策をやった、そのことによってデフレを脱却した、それを参考にするという主張を二〇〇〇年代の前半に随分しておられて、その方々が、今回の若田部候補もそうなんですが、日銀の実際の幹部になっておられるわけでありますが
先日、大臣の高橋是清さんのお話を今思い出してしまいましたけれども、今御説明いただいた相続税の少しそのバーを下げて課税対象者を広げるみたいな動きというのは、民主党政権の安住大臣が財務大臣をされていたときに御準備というか、そのころであったかなという記憶がありましたので、与野党を超えて、こういった税の問題というのは共有することが、先ほどの両元総理、前総理の質疑の中でもあったかと思いますので、ぜひ与野党力を
次に、国債の方の、借金についての意識を聞く前に、済みません、経済成長の重要性とデフレ脱却というもの、大臣から大きな意味での答弁がありましたし、高橋是清はリフレ政策を行ったというようなことを言われています。
そんな中で、大分昔になりますが、嘉永七年、一八五四年、高橋是清、二・二六事件で暗殺されてしまいましたけれども、是清公は、総理を経験し、大蔵大臣を経験され、九月十九日生まれでいらっしゃいます。
時代でデフレ対策をした人は、一九二九年、ウォールストリートの株の大暴落に始まります、いわゆるアメリカ発のデフレ大不況というのに対して、日本もあのときに影響したんですけれども、その前に既に私どもはいわゆる銀行破綻とかいろいろなものが起きていましたので、そういったものへの対応も早くできたとは思いますけれども、残念ながらうまくできずに、あのときは犬養内閣のときだったと思いますが、相手側の野党の総裁だった高橋是清